登山という言葉の曖昧さがもたらす問題
Problems caused by ambiguousness of the word‘mountaineering’

溝手康史 Yasufumi Mizote 
弁護士、広島山岳会、日本山岳文化学会遭難分科会
Lawyer、Hiroshima Alpine Club

キーワード:登山概念、法律、条例、行政指導、登山倫理、登山道

Key word:conception of mountaineering、law、municipal law、administrative guidance、mountain
ethics、mountain trail

 日本語の登山という言葉は、ハイキング、縦走、クライミング、沢登り、冬山登山などの多様な内
容を含んでおり、使う人によって、その内容が異なる。登山という言葉の意味の曖昧さが多くの問
題をもたらしている。登山概念の曖昧さは、観光や旅行などと登山を区別する場面と、ハイキン
グ、縦走、登攀などの登山が意味する内容が異なる場面で問題をもたらす。法律や条例で登山を
規制する場合に前者の問題が生じ、山岳事故の防止や「登山はどうあるべきか」という登山倫理
の議論で後者の問題が生じる。近年、条例や法律で登山を規制する場面が増えているが、規制
対象となる登山の範囲が曖昧な条例や法律が多い。登山の範囲を曖昧にしたまま登山を規制す
ることは、危険性の低い観光や旅行まで規制することになり、過剰な規制になりやすい。登山倫理
の議論でも、登山の内容が違えば安全性に対する考え方が異なる。登山道の整備のあり方も、観
光登山と熟練者向きの登山では異なる。登山という言葉で異なる内容を議論すれば、議論が混
乱しやすい。登山という言葉は曖昧であり、この言葉が示す内容を明示して、議論をするこ
とが必要である。

問題の所在
 近年、法律、条例、ガイドライン、通達等で登山を規制する場面が増えている。富士山での冬
山登山の禁止、各地の山の入山規制、登山届の義務化、入山料などの規制がある。また、埼玉
県では、山岳事故の救助活動をする防災ヘリの有料化がなされた。これらは、登山や登山者を対
象としており、規制対象としての登山の意味が問題になる。また、山岳事故の防止や「登山はどう
あるべきか」という登山倫理に関する議論でも、登山の意味が問題になる。登山という日本語は、
ハイキング、山歩き、縦走、クライミング、沢登り、冬山登山などを含む言葉として使用され、その範
囲が広い。同じ登山という言葉を使用しても、それが意味する内容が異なれば、議論がかみ合わ
ない。
 もともと日本には古来から信仰登山を中心とする登山があり、日本の山の名称は仏教や神と関
係のあるものが多い。明治以降、欧米のmountain climbingが日本に入り、mountain climbingの訳
語として、既に日本語にあった「登山」という言葉が当てられた。しかし、ヨーロッパのmountain
climbingと日本古来の宗教登山は、行動形態や思想の点で違いがあった。
 その後、日本でレジャーとしての登山が普及し、観光登山、山旅、娯楽的な山歩きをする人が
増えた。このようなレジャーとしての登山は、宗教登山やアルピニズムに基づく登山とは異なる。現
在では、登山は、観光登山からヒマラヤ登山まで広範な内容を含む。登山人口でいえば、年間登
山者数250万人とも言われる高尾山などに代表される観光登山と日本100名山ブームに代表さ
れる有名な山の山頂をめざす山歩きが多い。
 ママリーは、「真の登山者とは、新たな登攀を試みる人のことである」、「登山の本質は自分の能
力を山がもたらす危険と闘わせることにある」と述べたが1)、ここでいう登山は、アルピニズム的な登
山である。これに対し、大島亮吉は、思索や瞑想を含む静観的(contemplative)な登山のあること
を指摘した2)。また、田部重治は、登山は山に対する美的精神の活動と十分な肉体の行動との調
和こそその本来のあり方であり、山を鑑賞することなく、唯、絶頂のみに達することを全目的とする
登山」を「誤れるものである」と述べている3)。アルピニズム的登山と静観的・鑑賞的登山の違い
は、必ずしも、クライミングと縦走登山の形態の違いに対応するわけではない。積雪期の縦走登山
は、歩く行為が中心になるが、アルピニズム的な登山である。沢登りは、アルピニズム的な登山も
あれば、静観的・鑑賞的登山もあり、最近はレジャーとしての沢遊びがある。
 近年、トレイルランニングやスポーツクライミングなどの競技としての登山やツアー登山などの商
業的登山、レジャーとしての観光登山がさかんになっている。ママリー、大島亮吉、田部重治は、
競技やレジャーとしての登山を「真の登山ではない」と言うかもしれないが、これらを登山概念から
排除することはできない。
 このように、登山という日本語の中に多様な行動形態と考え方が含まれており、その点がさまざ
まな問題をもたらしている。
 第1に、登山を規制する場面で問題が生じている。法律や条例で登山を規制する場合には、違
法な行為とそうではない行為を区別するために、規制対象となる登山の範囲を明確にする必要が
ある。特に、違法行為に罰則を科す場合には、罪刑法定主義の要請から規制対象を厳密に特定
する必要がある。そこでは、登山と登山以外の観光や旅行を区別する必要があり、「登山とは何
か」が問われる。
 かつては、法律が登山に関して規定することは皆無だった。これは、登山に対する法の無関心
という理由だけでなく、登山の定義が難しいことが関係している。しかし、最近、法律や条例で登
山を規制する場面が増えており、登山概念の曖昧さが規制対象の不明確化をもたらしている。
 第2に、登山の安全性、事故の防止、登山のあり方に関する登山倫理を考える場面で、登山概
念の曖昧さが議論の混乱をもたらしている。
 たとえば、「登山から危険性を排除する」点は、ハイキング、無雪期の縦走登山、スポーツクライ
ミングには当てはまるが、アルパインクライミングや冬山登山には、必ずしも当てはまらない。アル
パインクライミングや冬山登山では、もともとある程度の危険性のあることが前提の行動だからであ
る。ヒマラヤの難ルートに挑戦する登山では、あえて危険性の高いルートを選択することがある。
 登山の安全性や事故防止について議論をする場面で、人によってイメージする登山の内容が
異なると、議論がかみ合わない。登山の内容が明確でなれば、「登山のベテラン」という言葉は無
意味である。無雪期の縦走登山のベテランが、登攀的な登山の引率をすることは危険である。「登
山のベテラン」が、学校やボランティア団体で登山の引率・指導をして事故につながったケースが
少なくない4)。登山指導者の技術、経験のレベルを客観化できないことが、事故につながることが
ある。「登山道をどこまで整備すべきか」についても、ハイキング用の登山道と熟練者向きの登山
道では、考え方が異なる。
 本稿では、法律・条例・行政指導・通達、及び、登山倫理などに関して、登山という言葉の曖昧
さがもたらす問題について検討する。

法律や条例における登山の概念
1、岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例について  
 2014年に制定されたこの条例の第4条は、「登山者の責務」として、以下のように規定してい
る。
   1、登山者は、登山は自己責任で実施するものであることを認識し、登山しようとする山岳 
   の特性及び火山活動の状況並びに自己の技能及び健康状態を十分に把握した上で綿 
   密な登山計画を作成するとともに、当該計画に基づいた装備品等を携帯して登山しなけ 
   ればならない。
   2、登山者は、登山している間は、気象状況、火山活動の状況その他の環境及び体調の変
化の把握に努めるとともに、当該環境及び体調の変化に応じて安全に行動するよう努めな
ければならない。
   3、登山者は、県が提供する登山に関する情報について、その内容を十分に理解した上
で登山しなければならない。
 そのうえで、条例の第5条は、登山者に登山届の提出を義務づけている。登山届の提出を義務
づける対象者は、「登山者」である。「登山者」の意味については、条例の第2条で、「北アルプス
地区等の山岳に登山する者で次に掲げる者以外のものをいう」とし、「北アルプス地区」の範囲を
別紙図面で特定している。「北アルプス地区等において、遭難した者の捜索救助活動に従事する
者」など一定の業務従事者は、「登山者」から除外されている。
条例にいう「登山者」は、条例で特定する一定範囲(北アルプス地区等)の山岳を登山する者
で一定の業務従事者を除く者である。そこでは、「登山者」の定義は、「山岳を登山する者」と言い
換えただけであり、山岳での旅行者や観光客との区別がなされていない。新穂高温泉などが北ア
ルプス地区に入っているため(冬期は条例の罰則の対象になる)、「北アルプス地区」に入る観光
客や旅行者も規制対象に含まれる。観光客・旅行者は「登山者」ではないという議論がありうるが、
北アルプス地区内の歩道を歩く観光客、旅行者と登山者の区別をするのは無理である。
 本来、条例の趣旨は、登山に遭難の危険性があるために、登山者にさまざまな責務を課し、計
画書の届け出を義務づけることにある。遭難する危険性の低い観光客、旅行者を規制する必要
はないが、レジャーの目的で「北ルプス地区等」に入る者をすべて規制する点で、条例は過剰な
規制になっている。
2、長野県登山安全条例について
  2015年に制定されたこの条例も登山者に登山届を提出することを義務づけている(岐阜県条
例と違って、罰則規定はない)。ここでも、規制対象となる「登山」の意味が問題になるが、条例の
第2条では、登山者について、「山岳(里山を除く。以下同じ。)を登山(遊歩道の通行を除く。以
下同じ。)する者をいう。ただし、山岳において次のいずれかに該当する業務に従事する者を除
く」として、「山岳遭難者の捜索又は救助に関する業務、非常災害に対処するための業務その他
これらに類する業務」などの一定の業務を除外している。
 長野県の条例では、一定の業務従事者、里山を登る者、遊歩道の通行者を除く者を「山岳を
登山する者」としている。ここでも、「登山者」の定義を「山岳を登山する者」と言い換えただけであ
り、観光客、旅行者との区別がなされていない。前述したように、登山者と観光客を外形的な行動
から区別するのは無理である。岐阜県条例と違って、里山の登山者、遊歩道の通行者を登山者
から除いているが、里山、遊歩道の範囲が曖昧である。
長野県の条例は、そのような登山者概念の曖昧さを考慮して、登山計画書の提出の対象者
は、「登山者」ではなく、指定した登山道の通行者に限定している。したがって、登山計画書の提
出を義務づけられる対象者は、「登山者」ではなく「指定した登山道の通行者」であり、その点で明
確である。その結果、「指定した登山道の通行者」の中に観光客や旅行者などが含まれるが、指
定登山道以外の登山道を歩く登山者や、登山道を歩かない沢登り、クライミング、冬山登山をする
者は、登山計画書の提出が義務づけられていないという問題がある。
 条例の趣旨は、登山が遭難の危険のある行為であることから一定の行為を規制したものである
が、規制対象にクライミングや沢登り、バリエーションルートの登山、冬山登山などの危険性の高
い登山が含まれず、逆に、観光客のように危険性の低い行為を規制対象にするという問題があ
る。また、積雪期の登山では、登山道を忠実にトレースする場合は登山届の提出が義務づけられ
るが、登山道を無視して歩く場合には、登山届の提出が義務づけられない。
 なお、この条例では、ツアー登山を実施する者に安全確保の努力義務を課しているが(9条)、
そこではツアー登山を旅行業法の適用がある場合に限定している。したがって、旅行業者ではな
い山岳ガイドが主催するツアー登山は、安全確保の努力義務が課されない。条例は、登山の定
義と同様に、ツアー登山の定義が難しいために、規制対象を旅行業法の適用のある旅行業者に
限定したのだが、条例の趣旨からすれば、バランスを欠くと言わざるをえない。
3、群馬県谷川岳遭難防止条例、富山県登山届出条例について
 群馬県谷川岳遭難防止条例では、危険地区に立ち入る者を「登山者」とし、これを規制対象
(登山届出義務と登山禁止)としている。
 富山県登山届出条例では、12月1日から翌年5月15日までの間に危険地区に立ち入ること
を「登山」と定義して規制(登山届出義務)している。
これらの条例は、一定区域内に入る者は、登山者、観光客、写真愛好者、研究者、旅行者を
問わず規制対象になる。登山者を定義することの困難さから、このような規定になっている。群馬
県谷川岳遭難防止条例や富山県登山届出条例の規制区域は、危険性の高い区域に限定して
いる。これらの条例に比較すると、前記の岐阜県や長野県の条例は、規制(登山届出の提出義
務)の対象がそれほど危険性の高くない地域を含んでいるという特徴がある。
4、埼玉県防災航空隊の緊急運航業務に関する条例について
 埼玉県では、平成29年3月に、県の防災ヘリを有料化した(条例の施行は2018年1月)。条例
の第10条は、「県の区域内の山岳において遭難し、緊急運航による救助を受けた登山者等(登
山者その他の山岳に立ち入った者をいい、知事が告示で定める者を除く。)は、知事が告示で定
める額の手数料を納付しなければならない。」と規定している。
 手数料納付の対象者を「登山者等」とし、その定義は、「登山者その他の山岳に立ち入った者
をいい、知事が告示で定める者を除く」とされている。「山岳に立ち入った者」には、観光客、旅行
者などが含まれるが、「山岳」の範囲を定義しておらず、法令として技術的に稚拙である。山と原
野の境界はどこかなどの議論は、ほとんど笑い話の対象になる。この条例は、防災航空隊に関す
る条例の規定の中に、突然、登山者等だけを対象に有料化の規定が出現する奇異な条例になっ
ている。
この規定は、ヘリの利用の濫用防止や山岳事故の防止を目的としたものと思われるが、ヘリを
正当に利用する登山者まで有料にしている。また、ヘリの有料化が山岳事故の防止につながると
いう論理は、理解不能である。ヘリの有料化の結果、山岳地帯の登山者と観光客が減れば、それ
に応じて事故も減るが、ヘリの有料化が登山者と観光客の減少につながる点の検証はなされてい
ない。
5、活火山対策特別措置法について
 2015年に同法に登山者に関する規定が追加された。
同法第11条(登山者等に関する情報の把握等)は、  
   1、地方公共団体は、火山現象の発生時における登山者その他の火山に立ち入る者  
   (以下この条において「登山者等」という。)の円滑かつ迅速な避難の確保を図るため、登 
   山者等に関する情報の把握に努めなければならない。
   2、登山者等は、その立ち入ろうとする火山の爆発のおそれに関する情報の収集、関係者 
   との連絡手段の確保その他の火山現象の発生時における円滑かつ迅速な避難のために 
   必要な手段を講ずるよう努めるものとする。
と規定している。
 ここでは、規制対象を「登山者等」としているので、一定のエリアに立ち入る観光客、旅行者等
はすべて「登山者等」に含まれる。日本の火山の多くは観光名所になっており、阿蘇山などでは、
火山に立ち入る者のほとんどが観光客である。活火山である富士山の裾野は広く、規制対象の
「火山に立ち入る者」の範囲はあまりにも広い。
 火山に一定の危険性のあることは理解できるが、日本では、火山に限らず、山、川、海、川、
池、崖、災害発生場所など危険性のある場所は無数にある。それにもかかわらず、火山について
のみ、このような努力義務を規定することは奇異である。
5、以上の条例、法律では、登山や登山者の定義をしていないか、あるいは、類似用語に言い換
えただけである。これは、もともと、日本語の登山や登山者の概念が曖昧だからであり、これを明
確に定義するのは不可能である。
 世界のどの国でも、程度の差はあっても、登山の概念は多くの内容を含んでおり、登山を厳密
に定義することは難しい。欧米で登山を法律で規制することが少ないのは、登山を規制しようとす
れば、登山の範囲が曖昧なために本来規制する必要のない行為まで規制することになり、国民の
自由の過剰な制限になること、法律で登山を規制しても山岳事故を防止できないこと、山岳事故
の防止は登山者の倫理に委ね、国家の介入はできるだけ抑制されるべきだという考え方があるか
らだと思われる。
 日本では、近年、曖昧な登山概念を使用して、登山を法律、条例で規制する場面が増えてい
る。これらの条例等は、いずれも規制対象が曖昧なために、危険性の低い行為まで過剰に規制
する傾向がある。曖昧な登山概念を使用して国民の行動を過剰に規制することは、国民の自由の
制限は必要最小限でなければならないという憲法の趣旨に反する。

登山ガイドライン等における登山の概念
1、 登山に関するガイドライン等は行政指導である。行政指導は、行政機関が一定の行政目的を
実現するために,国民の同意もしくは自発的な協力を得て適当と思われる方向に誘導
する一連の事実上の活動をさす。日本では行政指導が多用されるが、これは欧米には
ない日本特有の現象である(日本の行政指導の微妙なニュアンスを外国語に翻訳する
ことは、ほとんど不可能だろう)。行政指導は、国民を拘束する効力がなく、規制対象と
なる登山概念が曖昧でも、法的問題は生じない。しかし、日本では、行政指導が事実上の強
制力を持つことが多いので、行政指導の対象は明確でなければならない。また、通達は、国
民を拘束する効力はないが、行政内部で効力を持つので、規制対象となる登山概念は明確
でなければならない。
2、富士山における安全確保のためのガイドラインについて
 2013年に「富士山における適正利用推進協議会」が策定した「富士山における安全確保のた
めのガイドライン」では、夏山期間(7月上旬から9月上旬)以外の登山を禁止している。これは、行
政指導であり、法的拘束力がない。
このガイドラインは、対象者を五合目から上の登山道を通行する者に限定していないので、夏
山期間(7月上旬から9月上旬)以外の期間の山麓でのハイキング、観光、旅行などもガイドライン
で原則として禁止される。雪がなくても、7月上旬から9月上旬を除く時期の登山者と観光客が規
制対象になるが、規制対象となる富士山の範囲が曖昧である(富士山の裾野は広い)。
 このガイドラインでは、「十分な技術・経験・知識、しっかりとした装備・計画を持った者」は、禁止
の対象としていないが、基準が明確ではない。登山概念が曖昧であれば、「登山経験」の内容も
曖昧になる。経験や技術が「十分」かどうかを、誰が、どのような手続で、どのような基準で判断を
するのか不明である。装備が十分かどうかは、個々の登山者のレベルによって異なる。 
 なお、このガイドラインでは、夏山期間以外の登山については登山計画書の提出を求めている
が、夏山期間中の登山について登山計画書の提出を求めていない点は、明らかにバランスを欠く
(同ガイドラインの4、「夏山期間の登山に係る注意事項」に、登山計画書、登山届に関する記載
がない)。登山計画書の提出は、時期を問わず必要なはずである。
 一般に、ガイドラインは、行動上の指針などを示すものであり、法的拘束力のないガイドラインが
「禁止」という文言を使用するのは奇異である。
3、富士山協力金について
富士山協力金については、静岡側では、静岡県富士山保全協力金実施要綱で規定されて
おり(山梨県側も同様だと思われる)、これは行政指導であり、法的拘束力がない。
 同協力金の対象者について、上記要綱の第3条は、「対象者は、富士山の登山道開通期間に
おいて、富士宮ルート、御殿場ルート、須走ルートの各五合目から山頂を目指す登山者とする。」
と規定する。指定登山道を歩く観光客と登山者を区別できないので、観光客も協力金の対象にな
る。ただし、「山頂を目指す者」が協力金の対象なので、「山頂を目指さない」登山者は協力金の
対象にならない。
 この要綱は、法律や条例と違って、拘束力がなく、協力金はあくまで自発的なものである。自発
的に行われる協力金は寄付金であり、寄付金の金額や対象者を指定することはできない。
4、冬山禁止の通達について
 国は、高校での冬山登山を原則として禁止する内容の通達を繰り返し出している5)。禁止の対
象は「冬山登山」であり、ここでは、「冬山」の意味だけでなく、「登山」の範囲も問題になる。
 たとえば、スキー場での雪上訓練、スキー合宿が「登山」にあたるのかどうか曖昧である。高校
で冬に雪のない低山でハイキングをすることも、「冬山登山」であるが、さすがにそれは禁止しない
だろう。しかし、低山での登山中に雪が降り始めれば、禁止の対象になるのだろうか。
5、日本では、他の先進国に較べて行政指導が多いと言われている。行政指導による登山の規制
が多い点でも、日本は先進国の中で珍しい。これらの行政指導の対象となる登山の意味は、法律
や条例以上に曖昧である。規制の範囲が曖昧であれば、規制するかどうかが役所の担当者の裁
量に委ねられ、国民間に不公平をもたらしやすい。
 事故の防止や寄付をするかどうかは、登山者の倫理や自発性に委ねるべき事柄であり、行政
が強制すべきものではない。

登山倫理等における登山の概念
1、山岳事故の防止や登山倫理を考える場合にも、登山の意味が問題になる。登山が、観光登
山、ハイキング、縦走、沢登り、クライミング、山スキーなどのいずれであるかによって、安全性の考
え方が異なる。登山では、雨具、ヘッドランプ、地図を持っていくべきであるが、神社の参道を歩
いて山頂に登る人、高尾山や宮島の弥山などのロープウェイ駅周辺を散策する人、上高地を歩く
人、阿蘇山を訪れる観光客などは、ヘッドランプを持参すべきだろうか。
 2014年の御嶽山の噴火時に、ある山小屋に避難した20数人の登山者の中でヘッドランプを
持っていた人は、1、2人であり、そのため、警察官が先導して夜間に下山することができなかった
6)。御嶽山はゴンドラやロープウェイを利用すれば手軽に登ることができ、山小屋も多いので、彼ら
は、「これは、ハイキングであって、ヘッドランプを必要とする登山ではない」と考えていたのかもし
れない。
 テレビドラマ、映画、小説などが、登山のイメージを形成し、これらは、危険性の高い登山のイメ
ージを与えやすい。その結果、ハイキングは登山ではないと考える人が少なくない。低山歩きをす
るハイカーが、「自分らが行っているのは登山ではない」と考えれば、登山に関するさまざまな情
報に関心を持たないだろう。裁判所の判決の中に、ハイキングと登山を別のものとする判決や、河
原でのキャンプをハイキングと呼ぶ判決があり、判決文でも登山概念が混乱している。
 登山の形態によって、安全性に対する考え方が異なる。ハイキング、縦走、スポーツクラミイング
などでは、「登山は安全でなければならない」と考える人が多いが、冬山登山、アルパインクライミ
ング、ヒマラヤ登山などでは、「登山が危険なのは当たり前である」と考える人が多い。登山の多様
な形態を無視して登山の安全性や登山のあり方を議論をしても、議論が噛み合わない。
2、UIAA(国際山岳連盟)が策定した登山倫理(Climbing & Mountaineering Ethics)が対象とす
る登山は、Climbing とMountaineering であり、登山倫理のタイトルにhikingの文言が入っていな
い。日本で行われている登山の多くが、山歩きであり、これはhikingである。しかし、高山の縦走登
山では、部分的に登攀的な部分があり、これは、本来、mountain climbingの対象となる場所であ
るが、これを誰でも登れるように鎖と梯子で整備していることが多い。日本の登山は、観光登山か
らクライミングまで含むので、これに、UIAAの登山倫理をそのまま当てはめると、違和感が生じや
すい。
 例えば、UIAA登山倫理の中に、「登山は危険性の高いスポーツであり、事故が起きてもすぐ
に救助してもらえる保証はない」という記述があるが、日本の登山は、観光登山や整備された登山
道を歩くハイキングを含み、これらは、事故が起きればすぐに救助してもらえることが多い。上高地
周辺を歩くハイカーは、「登山は危険性の高いスポーツであり、事故が起きてもすぐに救助しても
らえる保証はない」と聞いても他人事のように感じるだろう。山岳地帯と山麓を明確に区別できな
いことは、山麓での安易な救急車の要請行為の延長として、山の中での安易なヘリの要請行為に
つながりやすい。
 日本の登山は、ハイキング、縦走、沢登り、山スキー、クライミングなどを含み、アルパイン的登
山、静観的・鑑賞的登山、宗教登山、競技登山、商業登山などを含んでいる。登山倫理を考える
場合には、これらの多様な形態に共通するものと異なるものを区別する必要がある。
3、ハイキング、整備された登山道での無雪期の縦走登山、スポーツクライミング、商業登山では、
安全であることが登山倫理の重要な内容になるが、沢登り、山スキー、トレイルランニング、アルパ
インクライミングでは、登山のリスクを承認することが登山倫理の重要な内容になる。ヒマラヤの高
峰の難ルートをめざす登山では、安全性を登山倫理に含めるのは無理だろう。
4、以前から、アルパインクライマーとスポーツクライマーの間で、「クライミングはどうあるべきか」を
めぐる対立があった。スポーツクライマーは、アルパインクライミングを安全性を無視する間違った
行動だと考え、アルパインクライマーはスポーツクライミングをクライミングの邪道だと考える傾向が
ある。両者は、行動形態と思想がまったく異なるので、倫理が異なるのは当たり前である。
5、登山ルートの整備のあり方に、登山概念の違いが反映する。登山を、安全に歩く行動形態とし
て考えれば、登山道を可能な限り安全化すべきことになる。その結果、登山道が遊歩道化する。
しかし、登山を、ある程度の危険性を前提とした行動形態として考えれば、登山ルートの人工物を
制限して、登山ルートの自然性を残すことになる。韓国では、登山道を完璧に整備する傾向があ
るが、これはそのような登山形態を念頭に置いているからだろう7)。
 槍ヶ岳の北鎌尾根を鎖と梯子で整備すれば、剣岳の別山尾根のように誰でも登ることができる
ルートになる。富士山の登山道に落石防止ネットを張りめぐらし、遊歩道にすることも可能である。
ウェストンが槍ヶ岳に登った時、槍ヶ岳の登山ルートは自然状態に近いものだった8)。槍ヶ岳の登
山ルートは、その後、整備され、現在では梯子が張りめぐらされ、槍ヶ岳登山の形態が変わった。
アメリカの国立公園は、フロントカントリーとバックカントリーに区別し、それぞれに応じてトレイル
を整備する。フロントカントリーではトレイルは誰でも利用できるように安全に整備され、バックカント
リーでは自然性を残した(リスクのある)トレイルとして整備・管理される9)。そこにはトレイルの多様
性の考え方があるが、韓国では、一定のパターンに基づいて登山道が整備される。
そのルートで想定する登山が、観光登山、ハイキング、熟練者向きの登山のいずれかによっ
て、登山道の整備のあり方が異なるはずだが、日本ではこの点が自覚されていない。その結果、
登山道の整備が「なりゆきまかせ」になりやすく、人気のある登山道は過剰に整備され、それ以外
の登山道は荒れる傾向がある。登山は、観光登山からバリエーションルートを歩く登山まで多様で
あり、多様な登山形態に応じて、多様な形態の登山道が必要である。

まとめ
 登山は、観光登山、ハイキング、縦走、沢登り、クライミング、冬山登山、山スキーなどの多様な
形態を含み、登山概念は多様で曖昧である。
法律や条例で規制する場合には、規制対象を明確にする必要があるが、登山概念が曖昧なた
め、法律や条例で「登山」という用語を使用するのは無理である。法律や条例では、「登山」という
用語を使用せず、規制対象となる行為を特定する必要がある。行政指導は法的拘束力がないの
で、法律や条例のような概念の明確性は要求されないが、行政指導が事実上の強制を伴う場合
には、法律や条例と同じ問題が生じる。現在の法律、条例、行政指導による登山規制は、曖昧な
登山概念を使用して規制するため、観光、旅行、危険性の低いハイキングなども一律に規制し、
過剰な規制になっている。
事故の防止や登山倫理を考える場面では、登山の多様な形態を区別することなく議論されるこ
とが多く、それが議論の混乱をもたらしている。ハイキングとクライミングでは、事故の防止や「登山
はどうあるべきか」の考え方が異なる。観光登山と熟練者の登山では、「登山道はどうあるべきか」
の考え方が異なる。登山という言葉は多様で曖昧であり、厳密さが要求される場面では登山という
言葉を安易に使用すべきではない。登山が意味する具体的な行為類型を明示して、議論をする
ことが必要である。
 
[注]

1)「アルプス・コーカサス登攀記」、A.F.ママリー、東京新聞出版局、304頁、306頁、2007
2)「山への想片」、大島亮吉、日本山岳名著全集5、83頁、1967
3)「旅行のモダニズム」、赤井正二、ナカニシヤ出版、79頁、2016。市村操一は、ウォーキング
を、宗教的ウォーキング、自然観照のウォーキング、ヒマラヤ征服を頂点とするアルピニズムの歩
行等10個の類型に分類し、ウォーキングの研究がなされていない点を指摘している(「誰も知らな
かった英国流ウォーキングの秘密」、市村操一、山と渓谷社、239頁、2000)。
4)静岡県文体協事故に関する静岡地裁昭和58年12月9日判決(判例時報1099号21頁、判例
タイムズ513号187頁)、東京都立高専事故に関する東京高裁昭和61年12月17日判決(判例
時報1222号37頁、判例タイムズ624号254頁)、東京高裁平成元年5月30日判決(判例時報1
314号61頁)、最高裁平成2年3月23日判決(判例時報1345号73頁、判例タイムズ725号57
頁)など。
5)文科省は、高校生の冬山登山を原則禁止とする通達(2001年11月12日文部科学省スポー
ツ・青少年局長通知「冬山登山の事故防止について」)を出し、それ以前にも、2004年3月22日
少年局長通知「連休登山の事故防止について」、2009年11月20日青少年局長通知「冬山登山
の事故防止について」などを出している。2017年の栃木県での高校生の春山登山講習会で8人
が死亡した雪崩事故では、春山登山講習が通達にいう「冬山登山」にあたるかどうかが問題にな
った。
6)「岐阜県警レスキュー最前線」、岐阜県警察山岳警備隊、山と渓谷社、212頁、2015
7)「大韓民国国立公園管理公団国立公園生態探訪研修院との交流事業に参加して」、柳澤義
光、国立登山研修所、登山研修VOL.31、p.157、2016、「2000年冬季、韓国人パーティーの遭
難レポート」、川地昌秀、国立登山研修所、登山研修VOL.16、p.12、2000)。
8)1828年に槍ヶ岳に最初に登ったとされる播隆は、その後、槍ヶ岳の山頂直下に、約126メート
ル分の綱と約57メートル分の鎖を設置した。この鎖は、明治の末頃に一部が残っていたようである
が、1902年頃にすべて撤去されたとされる(「播驕i増補版)」、穂刈三寿雄外、112頁、1997、
「槍ヶ岳とともに」、菊地俊朗、信濃毎日新聞社、96、99頁、2012)。ウェストンは、1891年以降、
槍ヶ岳に何度か登っているが、著書の中で鎖についてまったく触れていない。ウェストンは、鎖の
ある個所とは別のルートを登ったか、鎖について意図的に触れなかったかのいずれかだろう。
9)「留学先は国立公園!」、鈴木渉、ゴマブックス、75頁、2016。


(日本山岳文化学会論集15号、2017)


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                               

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税
                               


                                

「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」、溝手康史、2018
       山と渓谷社
       230頁

      
972円